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ゆるゆる書き書き。

365日書けたので、平日の終日外出じゃない日は更新。

広告はフィクションに戻れるのか。

 

私はコピーライターで、

チラシとかポスターを主に作っている。

重視されるのは、ノンフィクションであること。

 

ノンフィクションがおもしろかったり強いのは、

コンテンツのストーリーが強いから。

だから響く。

 

少しずれるけれど、

リアリティが一番面白いのはずっと変わらないと思う。

そういう意味で私は生きている人間が一番好き。

 

映画(言ってしまうとゴジラ)でリアリティがないって批判を見るけれど、

フィクションを見ているのにどうして?と思う。

リアリティが気になり始めるのは、

フィクションとして没入できなくておもしろくないから、

その原因をリアリティの有無で判断してしまう。

また話がずれるけれど、

フィクションにどうして不寛容になるかというと、嫉妬だと思う。

現実を受け入れられない自分自身の問題を、

映画とかフィクションを見た時に、こんなのがまかり通ったら

やってられないよと思ってしまう。だから楽しめない。

 

 

そういう、いろんなことを言う人がいるから、

だったら、最初からリアリティを作ればいいじゃない。

ということになり、世の中はノンフィクションばかりになっている。

ノンフィクションだから、誰からも責められない。

責められても、説明できる。

事実は何よりも強い根拠になる。

 

だから、フィクションとしておもしろいものを作らないといけない。

みんなリアリティなんて気にならないようなもの。

トーキョーショーやゴジラはその最たるものだと思う。

そのためには、かなりの労力と、

商品(コンテンツ)を売りたい企業の覚悟がいる。

私はかなりの労力を割く担当だということを、

肝に銘じないとなとここ数日考えて気付いた。

 

昔の広告に戻りたいわけではない。

でも、フィクションの広告が減っているのはさみしい。

そして、フィクションの部分は、いまテクノロジーが担っている。

テクノロジーのすごいところって、

リアリティを表現するときにフィクションでなく、

魔法みたいなファンタジーにしているところ。

だからテクノロジーはフィクションでない。

しかもテクノロジーの根拠は実際に説明できることばかりだ。

かなり強いぞテクノロジー。

 

テクノロジーはみんないろいろ言いたくても分からないから、

スゴイと思ってしまう。まだその余白にいる。

 

何も言えなくなるものを作ればいいということ。

それって、コピーライターとして、何ができるのかな。

って考えると、無力すぎてつらくなる。

でも、トーキョーショーにコピーライターの名前はいってるんだよね。

そこが希望。

そこしかない。

みんなの総意をまとめ上げること。

すべてをひとつにする力。

 

道のり長すぎて失神しそう。