読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゆるゆる書き書き。

365日書けたので、平日の終日外出じゃない日は更新。

寄付とボランティアと投票。

 

日本人が寄付とボランティアと投票をしないのは、

「祈り慣れてない」からじゃないかという仮説のお話。

困った時の神頼みで、祈りはしない。

 

 

日本人はあまり宗教を気にしない。

クリスマスやらなにやらしてもオールオッケー。

トイレに神様がいて、台所にも神様がいてとか、

生活や意識に宗教が深く練り込まれていて

普段意識しないようになっている。

 

日本は多神教で、世界はほとんど一神教だ。

多神教だといちいち祈るのに大変だから、

祈りはそこまで重要視されていないのかもしれない。 

一神教はひとつだけだから毎日祈れる。

祈れば祈るほど生活に浸透して、

信仰深くなって良いシステムだ。

 

 

祈るのは自分からの働きかけだ。

私が何を思うか、私がどう感じるのか

私が何を求めているのか。

祈りは、主語に「私」が絶対来る。

 

 

祈らないというのは、私を持たないことだ。

意見を持たないと言ってもいいのかもしれない。

私は関与しない。

私が変えていいものでもない。

私は合わせるべきものだ。

それが、その他大勢の見えない人でいたい。

責任なんてもってのほかだ。という風になっていったのかもしれない。

 

祈りは無意味だ。

祈っても変わらない。という考えなのではなく、

私が主語になってもいいのか分からないのではないだろうか。

私は祈った。それだけで私は許される。と自己完結していいのかわからない。

 

だから、私の主語で動く、

寄付とボランティアが日本人は苦手なんじゃないかと思う。

祈り慣れていない。

私は寄付した。それで良い。

私はボランティアをした。それでいい。

 

そうは思えない人が多い。

自分の納得のさせ方を知らない。

祈っていれば分かるのかもしれない。

私は毎日祈らないから分からないけど。

 

祈りは自己完結だ。

毎日、自己完結をしている人と、

その他大勢で、自分の意志を持っていいのかすらわからない人と。

 

主語で生きるか、その他大勢で生きるか。

宗教がそれを決めてきたのかもしれない。

 

私じゃなくて、私たち。

 

私じゃない、「たち」が、やってくれるはず。

やってくれなくてもいい、だって私は動いていないから、

そこは分別がある。

 

今の日本はこんな感じなのかな。

 

 

このことを考え始めたきっかけ

since20160105.hatenablog.com